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2007年10月17日 (水)

re:不動裕理の王道ゴルフ

 日経夕刊「駆ける魂」が4回連載で終了。しかし、記事は掘り下げられずに終わった。
いわく、ゴルフの魅力について、何故プロになったのか、功なり名を遂げて尚競技を続けるのは何故なのか、現役引退は何を目途に決めるのか?、など、肝心の質問が皆無といえる。
記者は、ゴルフというゲームを知らないか、その特性に気が付かないか、周りに示唆を与えるものが居なかったか、いずれかだろうが、記者とともに読者も惜しい機会を逃したものである。

 ゴルフとは、プロを目指してもいないアマチュアが、最も時間と金を掛けて練習と研究に励む、といわれている。
練習場通い、関連書漁り、頻繁な道具交換等が、その証左だろう。
しかし、何故だろうか、同じく棒で球を打つ野球とは練習への入れ込みかたに大分差がある。
 ゴルフというゲームが、野球と違うのは野球は3割打てれば一人前、ところがゴルフは10割でないと納得されない。
なぜならば、止まっている球を打つのは100%自己責任だから。
ゆえに、自己存在証明するに必死となる、のではなかろうか。
ゴルフは運不運と実力が混然と一体化するゲームである。そのプレー振りに性格と考え方が露わになるというのもそのせいだろう。

 不動裕理の潔いプレー哲学は何で培われたのか!
ゴルフを始めた動機、その魅力について、何故プロになったのか、功なり名を遂げて尚競技を続けるのは何故なのか、現役引退は何を目途に決めるのか?を知りたいのは、そこに興味が尽きないからである。

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